札幌高等裁判所 昭和35年(う)31号 判決 1960年11月16日
被告人 青山武司
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
理由
原判決が本件公訴事実につき、被告人がその実父一郎に対し同人の顔面部を手拳で殴打したことはあつても、同人を板の間に仰向けに押し倒すなどの暴行を加えた事実は認め難く、しかも、右殴打と同人の死亡するに至つた後大脳動脈破裂などの傷害との間に因果関係を認めるに由なく、他に右傷害が被告人の暴行によるものと認めるに足りる証拠がないから、結局、犯罪の証明がないものとして無罪の判決を言渡していることは原判文に徴し所論のとおりである。
そこで、按ずるに、原審鑑定人北栄および当審鑑定人斎藤銀次郎各作成の鑑定書によれば、本件被害者一郎の死因がその後大脳動脈破裂による脳内出血(病理診断学的には特発性の蜘網膜下出血)であつたことはこれを疑う余地がない。所論は、右破裂などの傷害は、被告人が一郎の顔面部を手拳をもつて殴打しただけでなく、同人を板の間に仰向けに押し倒すなどの暴行を加えたことに基因するものであるにもかかわらず、右仰向けに転倒させたという暴行の事実を認めなかつた原判決にはまずこの点で事実誤認があると主張するのであり、その摘示証拠の記載部分や供述部分によれば、なるほど一応所論を認め得られるかのようであるけれども、右証拠のうち、前記鑑定人北栄作成の鑑定書中にある所論摘示の「此の時図らずも外力が加えられたるため其の破裂時を早めたるものと思考す。」との記載部分は、当審証人北栄の証言にくらべてみると、一郎の死体に右破裂の誘因となるべき外部的圧力による痕跡を認めた結果によるものではなく、同鑑定人の単なる想像にすぎないものであることがうかがえるし、また、岩橋志郎の検察官調書中にある所論摘示の供述部分によつては、一郎が板の間に仰向けに倒れたことは認め得ても、それが必ずしも被告人によつて強く両手で押し倒されたものとは認め難く、その司法警察員調書中にある所論摘示の「岩橋さんとめないでくれといつて立上り息子をなぐろうとして手を押そうとした瞬間に坐つていた息子も立ち上り酔つていた親を両手で押したら、立つたその場からよろめきもせず後の方に真直ぐ倒れて茶の間の上に仰向けになりました。」との供述部分は、その供述自体からして、被告人がおおよそ人を転倒させるだけの外力を加えたものとは認め難く、これを当審証人北栄、同斎藤銀次郎の各証言や前掲各鑑定書によつて認め得られる一郎の本件当時の症状、すなわち、一郎は、高度のアテローム変性(動脈硬化性変化)にかかつていて、わずかな誘因が加わることによつて容易に右破裂を起し得る状態にまで至つていたものであつて、それは、単純な精神的興奮ないし飲酒行為だけからでも、その誘因となる可能性がまつたくなくはない程度のものであつたこと、そして、一旦右破裂を生ずると、その者の言語能力や運動能力の持続は急速に消失され、その立てる場合は、そのまま倒れて行くものであることの諸事情や本件記録を通してうかがわれる本件当時の一郎の精神的興奮ないし飲酒の状況などに合せて原審ならびに当審証人岩橋志郎の各証言と比較検討してみると、一郎が板の間に仰向けに転倒したのは、被告人が一郎を押し倒したことの暴行によるものではなく、その飲酒ないし精神的興奮などの誘因が併合して前記破裂を惹起したことによるものと解するのがむしろ自然であるから、右転倒につき被告人には何等暴行を加えたことのない旨供述する岩橋志郎の原審ならびに当審での各証言は所論のような事情で真実に反した虚偽のものとは認め難く、かえつて、同人の所論摘示の各供述中この点に関する部分は措信し難いものと認めざるを得ない。してみると、所論摘示の証拠をもつてしては、被告人が一郎を板の間に押し倒した暴行の事実を認めるに由なく、記録をよく調べてみても、他に所論を首肯するに足りる証拠がないから、この点において原判決には何等所論のような事実誤認のかどがあるものとは認められない。しかしながら、ひるがえつて、一郎が板の間に仰向けに転倒するに至つた経緯について考えてみるに、原審ならびに当審証人福島義雄、同岩橋志郎、同青山君子の各証言、岩橋志郎の検察官に対する供述調書、医師沢泉昭吉作成の死体検案書、前記北栄作成の鑑定書を総合すれば、本件当日被告人の稼働する豊平炭礦では山神祭があつたので、被告人は、同日朝から祝い酒を飲み、同日午前九時頃からは、職場同僚である佐藤清、谷津星悦、岩橋志郎、福島義雄等を自宅に招き、一郎をも交えて、茶の間である六畳板の間に坐つて相当量のウイスキーや清酒を愉快に飲みかわすうち、同日午前一一時過頃右佐藤や谷津はすでに辞去して、酒宴もようやく終る頃合となる一方、街では運動会が催されていたので、一郎が後は被告人にまかせてその妻君子を連れて運動会見物に出かけようとし、被告人においては、なお、残客もあり君子に接待させるべく、その外出を引きとめようとしたことから端を発して、一郎と口論を始めたところ、これに立腹した一郎から飲みかけの酒の入つたコツプを左顔面部に投げつけられるや、被告人もまたかつとなつて、平素飲みなれない酒の勢も手伝い、一郎の顔面部に盃を投げつけ、あるいは、自己の長期療養中の一郎に対する不満をぶちまけて親とも思わぬ言動を示し、さらに一郎に対しその顔面部を手で二、三回殴打するなどの暴行を加えたことにより、一郎をしていよいよ興奮させ、岩橋志郎の制止も強く拒んで被告人と争闘すべく立ち上がらせるに至り、被告人もまた立ち上つたが、一郎は、にわかに板の間に仰向けに転倒し、そのまま死亡するに至つたことを認めるに足りるのであつて、前掲証拠中これと牴触する部分はその余の部分と較べてみて事実に合しないものと認めざるを得ないし、他に右認定をくつがえすに足りる証拠がない。そして、本件当時被告人が相当飲酒酩酊していたことは認め得ても、そのため、心神喪失ないし耗弱の状態にまでいたつていなかつたことも前掲証拠や谷津星悦の検察官に対する供述調書によつてこれをうかがうに十分であり、被告人の各供述中これと牴触する部分はにわかに信用し難い。はたしてそうとすれば、右認定の経緯に前認定の一郎の本件当時の症状を合せ考えると、一郎は、被告人からの右暴行などに憤激し、立ち上つて争闘に出たため、その精神の興奮と争闘時における筋肉の激動に加えて当朝来の多量の飲酒行為とが相俟つて、本件当時かかつていた高度のアテローム変性による後大脳動脈破裂を誘発し、その結果、右特発性の蜘網膜下出血を発作し、そのまま、板の間に転倒し、間もなく、その場で死亡したものと判断せざるを得ない。してみると、一郎の死亡の一因である精神の興奮や筋肉の激動は、被告人の右暴行に基因するものというべく、したがつて、おおよそ、かかる程度の暴行は、通常死亡の原因となるに値しないものとはいえ、本件にあつては、それがため、被告人の右暴行と一郎の死亡との間に因果関係がなかつたとはいえないものと解すべきであるから、これと異なる見地に立つて、たやすく右因果関係を否定し、本件傷害致死の公訴事実につき無罪を言渡した原判決にはこの点において所論のとおり事実誤認があるものといわざるを得ない。そして、それは判決に明らかな影響をおよぼす場合に該当するものと認められるので、結局、論旨は理由があることに帰する。
よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従いさらにつぎのとおり自判することとする。
(事実)
被告人は、樺太知取町において一郎の長男として生れ、同地国民学校高等科を卒業後、樺太庁に入り、庁立保恵鮭鱒孵化場に勤務したが終戦とともにやめ、抑留生活の後、昭和二二年八月さきに引き揚げた父一郎を頼つて北海道に帰還し、一郎とともに道内各地の炭礦を渡り歩いて働いているうち、数年にして肺を病み、爾来入院療養の生活を過ごし、昭和三三年春退院後も、美唄市の妻君子の実家で病後の保養にあたつていたところ、これによりさき、母千代が死亡していたこともあつて、同年八月頃一郎の求めにより同居することとなり、同年一一月頃には留萠市橘町豊平炭礦株式会社社宅に妻君子をも迎え入れて、一郎とともに右豊平炭礦株式会社に勤務しつつ平穏かつ円満な家庭生活を続けていた。
ところで、昭和三四年六月一二日に、当日は右炭礦の山神祭というので、被告人は、朝から祝い酒を飲み、一旦出勤した後、同日午前九時頃からは、職場の同僚佐藤清、谷津星悦、福島義雄、岩橋志郎等を相前後して自宅に招き、一郎も交えて、茶の間である六畳板の間に坐つて相当量のウイスキーや清酒を愉快に飲みかわしていたが、同日午前一一時過頃、佐藤や谷津はすでに帰えり、酒宴もようやく終る頃合となつたのをみて、一郎が君子を連れてたまたま街で催されていた運動会見物に出かけようとしたのに対し、被告人においては、なお、佐藤や岩橋もいたことではあり、君子にその接待をさせようとして、右外出を引きとめたことから、一郎と言い争いを生じ、ついこれに立腹した一郎から飲みかけの酒の入つたコツプを左顔面部に投げつけられる仕儀となるや、被告人もまたかつとなつて、平素飲みなれない酒の勢も手伝い、一郎の顔面部に盃を投げつけ、前記療養中の不満をぶちまけて一郎を親とも思わぬ言動を示し、さらに一郎に対しその顔面部を手で二、三回殴打するなどの暴行を加え、一郎をいよいよ憤激興奮させ、岩橋志郎の制止を手で強く排してまでも立ち上つて被告人に襲いかからしめるに至つたため、その精神の興奮と争闘時における筋肉の激動に加えて当朝来の多量の飲酒行為とが相俟つて、高度のアテローム変性にかかつていた一郎の後大脳動脈破裂を誘発し、その結果、特発性蜘網膜下出血を発作し、これに基因して前記板の間に仰向けに転倒したままその場で間もなく死亡するに至らしめたものである。
(証拠)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二〇五条二項に該当するところ、本件犯行の経緯、暴行の程度、そのため本件の如き結果発生は被告人の夢想だにしなかつたものに属することが認められること、被告人は、これまで真面目に暮していたこと、その他諸般の事情を総合すると、本件罪質を考慮に容れても、被告人には憫諒すべき余地が多分にあるので、前記所定刑中有期懲役刑を選択し、同法六六条、七一条、六八条三号に則り酌量減軽を加えた刑期範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、刑事訴訟法一八一条一項但書に従い原審ならびに当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 矢部孝 中村義正 小野慶二)